人は偏差値45がお好き

先日長年おつきあいある友人と話していて、概して自分の幸せ話は他人には嫌われるものだという話になりました。そこには嫉妬やら羨望や、はたまた自分のコンプレックスを刺激する材料になるからだと、まあ、そんな他愛無い酒席のにんげん話をしていました。

他人の不幸は蜜の味

当ブログではそんな人として当然の感情など話題にしません。ポイントは、その不幸がどれくらいの不幸であると一番よいのか、下世話な言い方をすれば、どんな不幸話をすれば他人に好感をもってもらえるのか、ということです。

例をあげましょう。

貴方は久しぶりにAさんとBさんに会いました。お二人が貴方にそれぞれの不幸話をしてくれました。どちらの不幸話が嬉しいですか?

Aさんの不幸話

先月なんだけど、恋人と別れてね、いまひとり。夏のボーナスも上がらないし、今年はいいこと無さそうだ

Bさんの不幸話

先月リストラで会社を退職して、いま無職。それが原因で離婚、この年齢じゃ再就職は難しい、おまけにうつ病にもなってしまった。お先真っ暗

あくまで一般的な見方ですが、AさんよりもBさんの境遇の方が厳しいです。Aさんは偏差値40〜45、Bさんは偏差値30〜35といったところでしょうかシュンスケの独断と偏見による数値化

人は不幸話が好きなのであれば、より不幸レベルの高いBさんに好感をもつのでしょうか。もちろん貴方がBさんに憎しみを抱いていれば快哉を叫ぶかもしれませんが、そうでもなければ答えはNOだと思います。

不幸を喜ぶ感情には、相手よりも自分の方が幸せの点で勝っていると思える優越感や自分の不幸との共感性が生まれるからです。他人の不幸が大きくなれば優越感は比例して強くなるでしょう。ただし優越感が増大するに至ると、人は喜びと一緒に別の感情に気づくものなのです。

それは他人の不幸を喜ぶことへの罪悪感、羞恥心です。自分の置かれた境遇との差異が大きくなると、不幸への共感性が感じられなくなるでしょう。

人は他人の不幸を喜ぶものだー、はい、そうです、断言しましょう。ただし、一方でそれを悪とする感情も併せもっているのがまた人だと思います。だから人は決して貴方に大きな不幸を求めているわけではないのです。もちろん憎しみの果てに抱く気持ちは別としても、人はちょっとした不幸話を自分への癒しにしているわけなのです。

人は相手に偏差値45を求めているのいえると思うのです。自分の好感度を高めたい時、偏差値45の自分を他人に伝えてみる、これが肝ですね。

まあ四の五の述べましたが、要するに謙虚であれ、ということですかね。不幸論でいい酒飲めました。

シュンスケ