ファッションは心の潤い

ファッションは心の潤いなのよ

ってのは、アメリカの人気ドラマ、アグリーベティで出てくるセリフだ。

だよね

って思う。

育児は人生の一部

ってのは、脱良妻賢母のすすめ古谷しづかさんの言葉だけど、いくら母親になったからって、女であることを投げ出しちまったら、つまんねぇ。ってかつまんなかった。

子供が産まれた直後からしばらくは、私は自分の美になど興味がなかった。あってはならぬ、そんな金と暇があれば子供になどと思っていたのかもしれない。

そんな悶とした日ののち、自分のおしゃれに興味を持つようになったら、生活が楽しくなった。これぞ潤いだ。

目に入るものひとつひとつが、テンションの上がるものだったら、なんか自然とテンション上がるよね。顔化粧だったり、服だったり、バッグだったり、サンダルだったり、アクセだったり、スマホだったり。当たり前か。

今私が楽しいのは、ネイル。

今までネイルサロンはよく行ってたけど、ネイルをやってもらったのは結婚式のときだけだ。

まつ毛パーマとか、まつ毛エクステとか、アートメイクとか今は違法らしいけどそっち系で行っていた。

ネイルが広まって、私が産後、おしゃれに喪に服している間、セルフネイルとかもだいぶ広まったようで、ドラッグストアーやドンキに行ったら、ネイルグッズが大量にある。

セルフでやるほうがコスパもよいので、私も最近やるようになった。

ネイルは色だから、気分も直で連動する。

デコレーションも同じく連動。

気に入ったものを身に着けて、それが目に入ってくると、なんかちょっと自分好き度もUPするもんだ。

と、ここまで書いておきながらなんだけど、同じおしゃれをしていても、私は自分が大嫌いな時期があった。例によって20歳前後である。

摂食障害の時期だ。

特に容姿が猛烈に嫌いだった。

体重も嫌い。

体型も嫌い。

顔の輪郭に口に鼻に目にとにかくすべてが嫌い。

だからキャバ嬢のようにめかし込み、出勤のごとく登校していた。

あのころ私は、ずーっと人の顔を見ていた。顔色をうかがうとかではなく、美醜を見ていた。

電車の中でも、ずーっと女の顔を見ていた。

あの人はかわいい。あの人はかわいくない。あの人はかわいくなさそうだけど、なんだかかわいく見える

それで、ブスな自分は死ねばいい。

そんな堂巡りの思考である。

醜形恐怖ってやつだ。殺したいほど自分の顔が嫌いだった。

あのときのおしゃれは、今のおしゃれと違って、虚飾に満ちていた。

一番違うのは、そもそも自分が自分を好きか嫌いかだ。

自分が好きなら、自分の好きなものを選べる。

自分が嫌いだったら、人が好きそうなものを選ぶ。だから、私は醜形恐怖のころ、ィトンやグッチやディオールといったスーパーブランドで身を固めていたのだ。なんだか強くなった気がして。

摂食障害醜形恐怖を克服した後22歳くらい?、私はがらりと服の趣味が変わった。楽しかった。本当に好きなものを、ようやく身に着けることができるようになった。周りがどう思うかは気にしなかった。

好きなものに囲まれる、本当の幸せを知ったのだ。

子供はまだ自分が男か女かもはっきりしないような年齢で

王子様になりたい

という日もあれば

あれが着たい

とCMのドレスを指さす。

しかし美意識というものは着と芽生えているようで、私がネイルしていると

ちゃんも!

とマニキュアをしたがる。

おしゃれは、天与のギフトなのだ。